デイトナUSAのページ
●デイトナUSA1日記(一生連載中?(爆))
当時からのことを思い出してつらつらと書き連ねていく予定です。
上海の方のタイム更新について緊急コラム?(触れないわけにはいかんでしょう)をば...(笑)
●2000.8
txz氏がHPに上級の走りをアップしたとのことだったので、早速DLして拝見。
感想などを書いてみます。
1−2区間:特に変わったことはないですが堅実に18”8台を出している様子。
2−3区間:ピットを抜けたあとカシオペアシティの右カーブで...壁ターン!!
うおおおおおおおおおおおおおおおお!!それは気がつかなかった(^^;お見事です!!
いや、最初メールでここの区間タイムを見たときに一番、自分と差があったのがこの
全6区間で一番短いこの区間だったのでよっぽどの大技なのだなと思ったのですが、
よもやここまでとは...
速いスピードで抜けているためにチェックポイント前の左も工夫して曲がってますね。
3−4区間:ジェフリー像のコーナーもギアドリですねえ。自分はアクセル踏みながらブレーキで
やりつづけていたんで遅かったようです。でもやはり前の区間を速いスピードで抜けて
いる分ここにもつながっているんでしょう。
4−5区間:灯台の逆バンクコーナーや、草原地帯から橋入り口へのアプローチも決まっています。
5−6区間:橋出口はやり方がほぼ一緒ですが、ハンドルを何度も切り直していますね。
ここも橋の進入速度が速い分の差ですね。
6−7区間:ここはほぼ一緒でした。でも最終のヘアピンが安定してますね。
総評(爆):壁ターン脅威!!ってとこでしょうか。でもそこだけの差でなく6年間?の研究の成果
が全体的に凝縮されてる究極の走りです。(^^;
今からマネしてやりこもうとはとても思えないですが、見てるだけで満足ですな最早(^^;
毎日1回大抵見てます(笑)
●2000.5
上海から突如メールが届く...なんでも「上級を6年やりつづけてあなたのタイムを抜きました」って内容
のものであった。当初(爆)隊員の数名では(サターン版じゃないのか?(^^;とか)疑心暗鬼におちいっていた
が、後日証拠画像もメールで届いた。うーん、完敗です。2年以上前に更新はストップしてしまい、また、周
りにアタック可能なメンテ良好の台も皆無に等しく、さらにはトナ2のアタックに気合いを入れている今とな
っては再アタック開始はもうありえません。それにしてもタイム差が自分の区間タイム理論値を超越してるっ
ていうのは決定的ですね。完敗を認めます。(^^;
ここ数年の日本でのドラゲータイムアタックで数年過ぎてから2秒以上という決定的な差でタイムが更新され
たのなんて無い(かった?)ですよね(^^;;;後にも先にもないかも...
今回のトナ1上級ではもう凄いを通り越してあきれるしかないって感じです。
やはりお互いの走りを全く見てないっていうのとゲーメスト(現アルカディア)のようなスコア集計媒体が存
在しない、そして独自での走りを研究しやりつくした結果がこのタイムだったのでしょう。
中国の方では日本でお役ご免になった筐体が整備されてから出荷されていくので、実質的にアタックしてる時
期なんかもズレが生じるのもありますし...
日本で、上級の数名のライバルはRM95のときに見た(見せた)自分の走りをベースにした人や、一緒に立
川などでアタックしてた人だったので、自分が先駆者のような感じになっていつしか自分のタイムが最速であ
るようなイメージが植え付けられていった感がありますね。もう3’06”台が限界であろう...って自分
も他のプレイヤーの追い上げの声も次第に聞かれなくなってころを境にアタックを止めてしまったいたわけで
ありますが...こういうことってあるんですねー。
あとは日本のスコアラーの場合、TOPになると「もう誰かに抜かれるまでやらない!」みたいな感じな方が
殆どだと思うんですよね(自分を含めて)。だけど頂点になってもあくなき探求心で走りつづけるってのが重
要なのでしょかね。本当に最終スコアを狙うのであれば。しかし最終ってそう簡単に取れないもんですな。
彼もまた技を10個考えて(笑)ゲーセンに行っていたのでしょうかね?1日20個か!?(爆)
これでデイトナ1はおそらく引退ですが(txz氏も上級は3’04”03でやめたようです)、いろんな意
味でデイトナ1の奥深さってものを知った感があります。後にも先にも6年以上に渡って国際的な熱い闘いが
展開される(された)のはデイトナ1以外には無いような気がします。
いや、そんなことはない!というドラゲーの登場を願ってますよ<メーカー各位(^^;
最近のドラゲー界事情がイマイチなもんで(爆)隊内でもドラゲー半引退な隊員さんが増殖しております(マジ
自分のように1つのドラゲーを数年に渡ってやっていくタイプってのもなかなかいないのですなコレが(^^;
しかし上には上がいたわけで、今後は世界を相手に闘っていかないといけない時代?でもあるわけだし、最早
日本人には負けられないな!って感じでまだまだいろいろ走っていきたいと思うのであります(トナ2とか)
ふ〜(^^;なんかいつのまにか長文...しかも読み返すと何が言いたいのかよくわかんないぞ(爆)
ま、とにかくトナ1はひとくぎりついたってことで、トナ2をまだまだ伸ばしますよと!
でもって2ではそう簡単には追いつかせないぞくらいの気合いで頑張りますってことです。(^^;
#ん〜。あと、多分訳して〜っていう希望が来そうなので誰かプリーズ(ォ
●95.1〜98.3(やってた時期までの話)
(ヒマがあり次第更新していきます。忘れないウチに...(爆))
●94.12頃(超久々に続き更新したな〜(笑))
8年ぶり?の全一をデイトナUSA上級でGET(ゲーメスト)。ついに引退してた自分も本格復帰をなしと
げてしまった。引退してた人間を現役にひっぱりもどしてしまったトナ1に乾杯!(笑)
同月号にKA.たかはし君も中級で全一をして揃い踏みが出来た。
●94.11頃
上級も3’09”前半に入ってきてそろそろ苦しい感じだが、メストの全一タイムの伸びもやはりというか止
まってきている感じだったので「ここが踏ん張りどころ!」と自分に言い聞かせ、アタックしていた。
そして、遂に出た大台3’08”87を確かな手応えを感じ、申請した。
●94.9頃
この頃から、立川カジノカーニバルをアタックの本拠地として、KA.氏と共に週末は一緒にプレイするよう
になった。彼は中級メインに上級もプレイ、私は上級中心に3コースとも走り込んでいた。やはり50円は魅
力というのもあるが、100円の台があったとしてやる回数(というか金額)以上につぎこんでしまう(笑)
そんなこんなで2人とも全一に追いつき追い越せそうな確かな手応えを感じつつあった。
●94.8頃
調布のモナコにブラっと行って主に上級コースを走ることもあったが、ふとランキングを見ると3’14”台
の自分のタイムが圏外に追いやられていた。(^^;
そこには”3’12”XX KA.”と入っていた。「むう、この男やるじゃん...(^^;」と思いながらも、
その後頑張って3’10”台を入れておいた。
後日来てみると、流石に彼も更新が苦しくなってきているのか伸び悩み始めている様子...
8月某日にJR神田のガード下にあるゲーセン”J&B”でデイトナをプレイする。
そこのデイトナにも”KA.”のネームを発見。店内のコミュニケーションノートに「KA.氏は調布にも来
ていらっしゃる方ですか?」とコメントを書いて残し去る。むろん、J&Bのデイトナ上級の氏の記録もサク
っと抜いておいた(爆)
これが後々発足する神田デイトナーズの由来になろうとは、更には筆者が一時は撤退していたスコアラーに復
帰するきっかけになろうとは誰も知るよしはなかった...
その後の某日に調布のモナコで上級をプレイしていると、後ろで結構長いこと真剣に見ている人がいたが構わ
ずにやりつづけ3’10”XXを出してネームを入れて台を離れた後に、その人物が声をかけてきた。「あな
たがGILさんですか?」「ええ、そうですが...もしかしてKA.氏ですか?」とすかさず聞き返した。
やはりそうだったらしい。そのまま2人ですぐに立川に移動し、CCを紹介してあげた。
50円はやはり魅力らしく彼も今後はここにちょくちょく来てアタックしようという話しになる。その日はひ
たすら上級コースの走りについていろいろ語り合い、氏の中級の走りも見せてもらった。
●94.7頃
立川のWINS(場外馬券売場)に馬券を買いにいったついでに昔、行ったことのあるハイスコア集計店
”カジノカーニバル”になにげなく寄ってみた。するとそこにはオレンジ色の憎いヤツ”夕刊○ジ”...(爆)
もとい、デイトナUSAのツイン筐体が!!
早速、台に座って100円玉を投入...あれ?入らない?あ、50円だ!
この事実を知った、私の中に俄然やる気がみなぎってきた感じである。
それから毎週、いや、毎日のようにカジノカーニバル(以下CCとする)に通いはじめる。
●94.5頃
ゲーメスト初回集計のタイムを見てうちひしがれた気分...
「ああ、やはり隠居は隠居してろってことかあ」と思い、次第にやる回数も減ってきていた。
※作者は84年から88年あたりまではベーマガによくハイスコアを出すいわゆる”スコアラー”だったの
でした。(詳しくはプロフィールのページ参照)
●94.3頃
デイトナUSA発売。初めて見たのはセガワールドアルカス(府中)であった。
デモ画面で歌ってるぞ!おお!なんかコレは今までのドラゲーとか一線を画す凄い出来だ!やるしか!と思う。
長いことゲームから離れていてスト2ダッシュの対戦あたりから次第にゲーセンに戻ってきつつあった自分で
あったがこれだけ興味を引いたゲームは実に久しぶりであった。
この頃は巣鴨キャロットに行って300円でもかまわず初級タイムアタックをしていた。